秋彼岸の入り


彼岸花

お彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの仏教的行事です。日本は正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきました。これを「日本教」と評した文明学者(ハンチントン)もいましたが、客観的にみるとかなり当たっていると思います。宗教が混淆化することは、とくに珍しい現象ではないのですが、古い時代から綿々と続いているというのは世界的に珍しいかもしれません。彼岸は仏教用語で西方浄土のことで、現世のことは、此岸(しがん)といい、対比的に考えられています。読み方によって「日願」でもあるため、太陽の神を信仰する神道と結びつきやすかったという説もありますが、後付けのような気もします。

また彼岸の時期は春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りとご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。お彼岸に墓参りという習慣も祖先崇拝の信仰があるからといえます。

彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日です。祝日法による趣旨は

「春分の日は『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』、秋分の日『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日』となっています。今では趣旨を政府もきちんと広報していません。たんなる休日扱いになっています。

お彼岸の供物や食べものといえば、「ぼたもち」と「おはぎ」ですが、基本的には同じものです。その季節に咲く「牡丹」と「萩」の花から、春は「牡丹餅(ぼたもち)」、秋は「御萩(おはぎ)」と呼び分けるようになり、作り方にも花の姿が反映されるようになりました。小豆の収穫期は秋なので、秋の「おはぎ」には皮ごと使ったつぶあんを用い、春の「ぼたもち」には固くなった皮を除いたこしあんを用いていたそうです。現代では使い分けをほとんどしていません。

お彼岸は迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときでもあります。自然に寄り添う暮らしの中で、暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になるよ……「暑さ寒さも彼岸まで」には、励ましの意もあったのでしょう。今年の異常に暑い夏もそろそろ終わりでしょう。おはぎでも食べて、英気を養って、ご先祖様への感謝、自然への感謝をしつつ、少しでも悟りたいですね。

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