今年最後の庚申


庚申塔

12月28日は旧暦の庚申(こうしん)で、今年は7回あり、最後の庚申の日です。今日、庚申の日の行事をしているのは数少ないですが、江戸時代までは盛んに行われていました。その痕跡として庚申塚や庚申塔が各地に残っています。庚申信仰は道教に説く「三尸説」(さんしせつ)を元に、密教や修験道、民間信仰や習俗などが組み合わさって成立したものとされていますが、明治時代に迷信として排除されました。三尸説とは人間の体内には三尸という三匹の虫がいて、庚申の夜に人が眠っている隙をついて三尸の虫が体内から抜け出し、その人間の罪や悪事を天帝に告げ口をします。そのため人間は早死にすると考えられていたので、庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができないため、庚申の日に徹夜すれば、早死にを免れて長生きができるという信仰です。そこで庚申講(こうしんこう)と呼ばれる信者たちが、庚申の日に集まり、神仏を祀って徹夜をします。これを庚申待(こうしんまち)と言います。庚申講は年6回あり、3年18回続けた場合に庚申待の供養のために造立したのが庚申塔です。庚申塚は石で作られることが多く、仏教的に庚申の本尊とされる「青面金剛」(しょうめんこんごう)と「庚申(かのえさる)」に因んで三猿が彫られたり、猿との関係に神道の要素が加わって猿田彦神の姿が彫られたりしています。庚申の権能は多岐にわたり、豊作、招福、厄除け、家族、和合・良縁、建築、健康長寿、病除け、土地・道、諸芸、の神とされ現生利益が求められ祈られるようになりました。他にこの日は男女同床せぬとか、結婚を禁ずるとか、この日結ばれてできた子供に盗人の性格があると恐れられたりする因習もあったそうです。かなり強力な祈りの日だったわけです。明治時代に路傍の石仏祠石碑や基礎となった修験道が禁止され、庚申塚などもかなり廃棄されましたが、寺院にあった庚申堂は今も残っていて、信仰の対象になっています。京都の八坂庚申堂、大阪の四天王寺庚申堂、東京の入谷庚申堂(現存せず)が日本三庚申とされています。カラフルな布で作られた「くくり猿」は今日でも祀られており、病気がサル(去る)、災難がサル(去る)、煩悩がサル(去る)あるいは見ざる、言わざる、聞かざる、さらには猿結び=縁結び、という語呂合わせもあって、新たな役割をもっているようです。

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