江戸幕府の始めと終わり
旧暦2月12日徳川家康は江戸幕府を開きます。慶長八年のことです。そして明治元年の同じ日に徳川慶喜は江戸城を出て上野寛永寺に移り謹慎しました。265年間続いた江戸幕府の終わりです。正確には明治元年九月八日の「一世一元の詔」により慶応から明治に改元されたことをもって江戸時代の終わりということに歴史上はなっています。
一世一元とは天皇一代に一つの元号という現代型の元号制度の始まりです。それ以前の元号は天皇の交代以外にさまざまな理由で改元されていました。ただこの明治の一世一元の詔の効力は、1889年(明治22年)の旧・皇室典範の制定により失効したとされています。それは改元のことよりも中身が問題だったのかもしれませんので検証してみましょう。
原文は漢文ですが、書き下し文では「太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。明治元年九月八日」とあります。悲しいことに明治の文章も現代日本人にはわかりません。
そこで解釈の例を紹介します。「「天地・万物の出現・成立の根元となる気を身に纏って天皇の位に登り、景命(天上界の人の命)即ち皇祖皇宗(天皇の始祖と当代に至るまでの歴代の天皇)の命を受けて、元号を改める。誠に聖天子(徳の高い天子)が治める世の模範・代表例であって、限りなく長く続く世の基準とする。私は徳が足りないが、歴代の天皇の霊魂に頼って、謹んで天皇が国を治める事業(鴻緒)を引き継ぎ、私は政治上の多くの重要な事柄「万機」を自ら行ないます。即ち元号を改めて、天下の万民と共に古いものを改めて、新しく始めることを欲する。元号を慶応から明治に改めて、慶応四年を明治元年とする。今後、旧制を改めて、一世一元とし、将来に亘る方式・制度とする。主となって事を引き受ける責任者(=政治を引き受ける者)は実行せよ」(https://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/e0b2b101af475f05c09f00e4e15a6be2)
現代から見て、とくに問題はなさそうです。この後、大正天皇も昭和天皇も改元の詔を出されました。しかし昭和天皇が薨去された1989年(昭和64年)1月7日よりも10年前の1979年(昭和54年)に元号法が成立し、以下のように定められました。1.元号は、政令で定める。2.元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。これにより改元の詔はなくなりました。今も元号に反対し、天皇にも反対する人々がいます。そういう思想があってもいいし、元号や天皇を尊重しようという思想もあっていい、というのが多様性に寛容な社会です。
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