日本史と世界史


歴史

言語起源論のところでご説明した相対論と普遍論ですが、研究方法の深化と一般化とも根底の思想は同じです。言語研究に個別言語研究と一般言語研究があるように、歴史も個別の歴史学と一般的歴史学があります。日本史は前者、世界史が後者ということができます。しかし、現代の日本史はやや不思議な教育をしています。誰もが「いい国作る鎌倉幕府」のような年号覚えをします。いわば「常識化」していますが、これは西暦年号で、明らかに世界史との比較を前提としています。歴史というのは、記録がないと詳細な時期はわからないので、文献がある時代を有史時代といいます。文献にはいろいろあり、当然、各文献による違いがあるので、学者が議論して年号を特定している、というのが実情で、新たな文献がでて「修正」されることもよくあります。歴史的事実(fact)は1つですが、歴史認識は真実(reality)は揺れ動きます。日本史の場合、日本独自の文献で年号が登場するのは古事記からとされています。しかし古事記の最初の方は神話で年号の記述はありません。元号が登場するのは大化からです。日本史の正史として最古の文献は日本書紀というのが通説になっています。日本書紀も初めの方の第1巻と第2巻は神話(神代)ですが、第3巻(巻第三)から神武天皇に関する記述となり、誕生は庚午年元日とされています。この干支による年号の表記は太歳(たいさい)という木星の移動を標準にした年号記述法(紀年法)です。木星は天球上を西から東へと12年で1周するとされ、それを紀年法の基準とする古代の方法です。それがやがて干支と絡めて干支紀年法へと発展していったのだそうです。その科学的根拠については今も議論が続いていますが、正確性はともかく、文献に記録されているということが重要です。現在使用されている西暦にしてもグレゴリオ暦といい、1582年ローマ教皇グレゴリウス13世が改良を命じたものです。それまではユリウス暦を使っていました。この改定によりグレゴリオスレキを新暦、ユリウス暦を旧暦と呼ぶこともあり、西洋で旧暦という時、日本でのイメージとは異なります。このように暦や年号は何回も改訂されています。

現在の教育で使われている日本史年表では、一番古い年号が「57年 倭国王が後漢に遣使し、光武帝から金印を授かる」となっていて、これは後漢書東夷伝に「建武中元けんぶちゅうげん二年」とあるのが根拠のようです。要するに中国の歴史書が客観的と判断しているわけです。現代の日本史は相対論なわけです。ただし、この中国の古代史書が正確かどうかもわかりません。有名な邪馬台国が未だに論争になっているのは魏志倭人伝の記述が正確ではないことにあります。相対論による比定が絶対的に正しいとはいえません。そうした視点に立てば、日本史について、日本書紀などの史書について研究を深めていくことも意義があります。また現代のように西洋歴で日本史を考えるのではなく、元号により時代を区分し政治や文化や社会現象を考察する手法も深化に役立つと考えられます。

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